自然を素材に造園の技を磨き続けてきました
岐阜造園の歴史は近代日本庭園の先駆者「7代目小川治兵衛」のもとで修業を重ねた創業者が、1927年に興した「造園業植彌」にまで遡ります。創業当初、岐阜という地方都市に活性をもたらすため、岐阜城ふもとの金華山公園(現岐阜公園)を美しく華やかな姿にする整備改修に着手しました。中興期にあたる、高度成長期からバブル期。経済的余裕を象徴する絢爛豪華な庭園やゴルフクラブなど、人々のステイタスを満たしました。造園の本質とは、時代時代の人々のこころが求める美しさを考える文化であり、空間芸術。私たちは常に時代が求める造園の価値を創造し提供し続けてきました。